TSUNAMI

 しばらくブログを書かないでいたら、地震が起こりました。
被災された方々、特に子供たちのことを考えると胸が痛みます。
私は日本が果たしてこれからどうなっていくのか、イメージできません。
ただ、もしかしたらこのことが日本の方向転換の始まりになるかもしれないという希望も少しはあります。
それは「発展型の社会モデルからの脱却」という希望です。
そのことはまたの機会に書きたいと思います。

今回は国際語になっている「津波」(TSUNAMI)について書きます。
なぜこの言葉が国際語になっているのかが前から気になっていたのですが、先日そのことを知る機会を得ました。

1854年の安政南海地震で起きた実話をもとに小泉八雲が英語で書いた物語”A Living God“(日本語題名:稲村の火)の中で”Tsunami”と初めて紹介され、それが後に世界中に広がりました。
この物語はアメリカコロラド州の小学校の教科書にも載っていたことがあるほど海外では有名なのにも関わらず、日本ではあまり知られていません。(日本でも中井常蔵が翻訳・再話し教科書に掲載されていたこともあるのですが)

物語のあらすじはこんな感じです。

村の高台に住んでいた庄屋の儀兵衛は地震のあと海の異変に気づき、津波がくるのではないかと思い、なんとか下にいる村人にそれを知らせることはできないかと考えた。そこで、刈り取ったばかりの稲村すべてに火をつけのろしをあげた。村人は儀兵衛の家が火事だと思い、みんなで高台に集まって来たそのとき、大きな津波が村を飲み込んでいった。村人たちは儀兵衛が村人たちを助けるために大事な稲村に火をつけたことを知り涙を流して感謝したのであった。

物語の主人公、儀兵衛はのちに郵政大臣となり辣腕を振るったそうです。

そしてなんと、この物語は2011年度より再び日本の小学校5年生の教科書に掲載されています。

このことを知ったとき、背筋が寒くなりました。

儀兵衛さんが現代の日本人に天国から警告していてくれたのかもしれません。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年4月14日 | 投稿者:isakano

ストーリーのある建築とない建築

 建築は「ストーリーのある建築」と「ストーリーのない建築」に分けることができます。

「ストーリーのある建築」とは、例えば美術館のように歩く順路が決められている建築のこと指します。

一方、「ストーリーのない建築」とは、例えば住宅のように歩く順路が決められていない建築のことを指します。

ある美術館はエントランスから出口まで一方通行なので、音楽や小説、または映画やフルコースの食事のようにストーリーを構成することが出来ます。

もちろん、一方通行ではない構成で創られた美術館もあります。

住宅はたとえエントランスから始まっても、寝室が最終目的地でもなく、必要に応じてキッチンやトイレを行ったりきたりするので、ストーリーを構成しづらい建築です。

建築にとってストーリーとは、風景のシークエンスであったり、空間の伸縮であったり、光と影のリズム、等々いろいろな手法が考えられます。

ディズニーランドでアトラクションの順番待ちのため長い洞窟の中を歩くとき、空間の伸縮や音などで私たちを退屈させないようにしていますが、あれもアトラクションに至るまでのストーリーといえるでしょう。

ディズニーランドの例でも分かるとおり、「ストーリーのある建築」は比較的考えやすいのですが、本当に醍醐味があるのは「ストーリーのない建築」かも知れません。

「ストーリーのない建築」は時系列に頼らない手法を構成しなければなりません。

小説や映画において、あえて時系列をばらばらにしてストーリーのない構成を狙った作品も多くあります。

建築は必ずしも音楽や映画のように時系列に縛られないこそ、かえってストーリーのない構成の方が手法として難しいのかもしれません。

しかし、そこに建築特有の効果を掘り出せる手法(マニエラ)が見つかるのではないかと思うのです。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年2月2日 | 投稿者:isakano

建築の気

 今日は月一回のペースでおこなっているスタッフとの夕食会でした。

普段はお互いそれぞれ忙しく、毎日仕事の話しかしないのはどうかと思い去年から始めた企画です。

今回は焼肉を食べながら、最近考えていること、それぞれの不満、建築論等でそれなりに盛り上がりました。

そんな中で、建築には「気」があると思うという話をしました。

設計者が一生懸命考え、職人さんたちが一生懸命工事をして完成した建築からは大きな「気」を感じます。逆にいい加減な気持ちで完成された建築からは小さな「気」しか感じられないので、物足りない気持ちになります。

そのためか、建築というのは高価な材料よりも、造る側の知恵と努力のプロセスの方が影響力を持つと考えるようになりました。

オカルト的なことにまったく関心がないのですが、建築を見て感じる「何か」の中にはそういった「気」も入り交ざっているような気がしてならないのです。

以前、ある精進料理家がラジオの中で「人は食物から「気」をいただいているのです」と言っているのを聞いて衝撃を受けました。

建築の「気」を考えるようになったのもそれからのことです。

人はより合理的に必要な栄養だけ摂取するのであれば、食物よりもそれを分解したタンパク質の方が効率がよく、タンパク質をさらに分解したアミノ酸の方がいいのかもしれません。

しかし、それでも私達は食物を選びます。それはやはり単なる栄養だけではなく食物の「気」を欲しているからではないかと思うのです。

今日は私もスタッフも焼肉で「気」をたくさんいただきました。

来月もがんばろっと。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年2月1日 | 投稿者:isakano

2011

 あけまして、おめでとうございます。

すでに松も取れて睦月も後半となりました。

お正月気分が完全に取れてからのこのご挨拶はさすがに気が引けますが、2011年もどうぞ宜しくお願いします。

今年は幸いにも複合施設から住宅まで幅広い守備範囲で建築を扱うこととなりました。

この機会を大切にし、これからの建築のことを真摯に考え、答えを出す年にしたいと思います。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年1月26日 | 投稿者:isakano

年の瀬

 年の瀬です。

今年もいろいろなことがありました。

初めてのスタッフとの海外研修旅行

初めての複合施設の設計

そして、来年はもっといろいろなことがあるでしょう。

今日、仕事を納めてからYOTSUHAさんでお年賀のクッキーを買いました。

最近は東京の手土産本に紹介されてすっかり人気店になってしまいました。

美味しいし、体にも優しいクッキーだからファンになる人も多いはずです。

並んで待っているお客さんがダイニングに上がって待っているときもあります。

状況に応じて住宅とお店が溶け合い、その両方が成立しているのがとても嬉しく思います。

今年最も嬉しかったことのひとつです。

来年は今年よりもさらに真剣に建築を考えていきたいと思います。

「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」 高浜虚子

皆様、今年もありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年12月28日 | 投稿者:isakano

気持ちのよい秋

やはり秋は気持ちよいですね。

9月末から10月初旬までイタリアに行きました。

そのためもあってか、いつにもまして忙しさに日々追われています。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
(古今和歌集・秋歌上・藤原敏行)

あんなに暑い日が続いていても、しっかり秋は近づいてきてたのですね。

iTunes Uで「Roman Architecture」の講義を見つけました。

時間を作ってみてみたいなー。

flathouse sakano

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年10月20日 | 投稿者:isakano

珊瑚のドーム


はじめて携帯からモブログします。

うちの奥さんが珊瑚の破片でロウソクシェードを作りました。

このシェードは約40個のピースで構成されており、大きさは直径12センチぐらいです。

最初はあまり興味がなかったのですが、もし、何十万個の珊瑚のピースでドームを作ったらと想像したら、かなり気になる存在となってきました。

結びつきやすいもの同士が繋がって、力学的に安定した形になっていくことは化学の原理ですが、これからの建築を考える上で最も重要な考え方の一つです。

flathouse sakano

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年8月10日 | 投稿者:isakano

蒸し暑さ

 いろいろな方から「最近ブログ更新しないね」といわれます。

ありがたいことです。

こんなブログでも気にしてくれる人もいると思うと、「忙しい」ということを書かない言い訳にしてはいけないなあと反省しつつ、梅雨が明け夏本番がきてしまいました。

以前ブログに書いたかもしれませんが、暑くなると思い出すのが吉田兼好の「徒然草」です。

その第五十五段の家作りのくだり。

「家のつくりやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、耐へがたき事なり。
深き水は涼しげなし、浅く流れたる、遥かに涼し。こまかなる物を見るに、やり戸(引き戸)はしとみ(吊り戸)の間よりもあかし。天井の高きは、冬寒く灯暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。」

(ちなみに、コルビュジェはエアーコンディショナーが普及し始めたころ、室内の温度はテクノロジーで調整できるので、窓はすべてFIX(開閉しない)ガラスで良いと主張したことがありますが、それは今日のテーマから外れるので、またの機会に取り上げます。)

日本は亜熱帯地方独特の蒸し暑さが風土としてあるので、抱きついたり、身体が触れる挨拶がないという説もあり、「蒸し暑さ」が日本の文化のベクトルとなっているのは間違いないでしょう。

俳人の長谷川櫂さんの著書の中に非常に興味深い事が書かれています。

「きっと日本人は大昔からこの蒸し暑く、堪え難い夏をできるだけ涼しく快適に乗り切るために生活、文化のあらゆる方面で「間」をとるようになった。というより、「間」をとらざるをえなかった。この夏によって培われた「間」の感覚がやがて季節を超越して生活や文化、さらには日本人の思想までに成長してゆく。絵には広々と余白を残し、音楽や芝居では沈黙をいきいきと働かせ、建築では簡素を尊ぶ。衣食住、人の付き合いのすべてにおいて、しつこいのを野暮とし、淡白を粋とするのも同じ理由によるだろう。この「野暮」とは「暑苦しい」ということ、「粋」とは「涼しい」ということとほとんど同じ意味である。」

そういえば、英語でもCOOLをかっこいいという意味で使いますね。

長谷川さんは名句の基準とは「その句が涼しげにそこに立っているかどうか。実はこれ一つしかない。」と言い切る。

涼しさ、それは「要素」が少なく「間」がたっぶりあること。

名建築、それは「涼しげにそこに立っている建築」

flathouse sakano

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年7月27日 | 投稿者:isakano

チョコレートコスモス

忙しくてブログがなかなか書けません。
あっという間に春は過ぎ、梅雨到来です。

去年の今頃にも書いたことがありますが、梅雨といえば紫陽花ですね。

ただ、今日は春のうちに書きたいなあと思っていたチョコレートコスモスのことです。
チョコレートパンジー2
チョコレートパンジー1
落ち着いた深い紫色の花びらに顔を近づけると、ほのかにチョコレートの香りがします。
なんとも不思議な感じです。

チョコレートも元々はカカオの実からできるわけですから、そう考えると納得はいきます。

でもやっぱり不思議な感じがします。

うまく表現できませんが、頭の中の回路が一つ増えたような、そんな感じでしょうか。

子供のうちは毎日無意識に新しい回路ができていくわけですが、大人になると既成回路ばかりどんどん太くなっていく一方で新しい回路がなかなか増えない生活をしてしまいがちです。

むかし、チョコレートの香りがするT-シャツをもらったことがあります。

そのときよりもびっくりしました。

チョコレートコスモス、たいした存在です。

flathouse sakano

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年6月15日 | 投稿者:isakano

サンキャッチャー

5月になり、 暖かくなってきました。

以前、クライアントさんにいただいたサンキャッチャーが大活躍中です。

太陽の光が窓に当たる時間になると、ソーラーパワーでカットガラスが回りだします。

回転するカットガラスに当たった光は虹色に分散され部屋中に広がるのです。

動き回る虹色の光に包まれた空間の中にいると、まるで自分が水中にいる気持ちになります。

これこそ現象。

そして、これも建築。

とてもすばらしいプレゼントです。

Nさん、本当に感謝しています。

ありがとうございました。

sakano flathouse

サンキャッチャー1サンキャッチャー2

サンキャッチャー3

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年5月1日 | 投稿者:isakano